出雲蕎麦の由来・歴史|鳥取県米子市・伯耆町「ひの木家」
- HOME
- 出雲蕎麦の由来・歴史|鳥取県米子市・伯耆町「ひの木家」
出雲蕎麦とは・・・
出雲蕎麦の特徴は、蕎麦の色が黒っぽく香りが高いことです。これは、蕎麦の実を甘皮部分まで挽きこむからです。
粉は中心部分から一番粉、二番粉、三番粉、皮の近くが四番粉となります。中心部分の粉は色が白いのですが、外側になるにつれ、黒味を帯びてきます。どの場所の粉を使うかで、色、香り、触感が変わってきます。
出雲蕎麦の由来
出雲蕎麦は、松平直政が信州松本から松江へ転封(大名の領地を他に替えること)になった時(寛永15年 1611年)、蕎麦職人を一緒に連れて行き、伝えられたものと言われています。庶民にとって御馳走だった蕎麦は、上流武士の間へも浸透していきました。大名の松平不昧も蕎麦好きで有名です。
松平不昧と蕎麦
江戸時代後期の大名茶人として知られている、松江藩七代藩主の松平治郷(不昧)は、不昧流という武家茶道を作り上げた人で、大の蕎麦好きでした。
茶会席の一品に蕎麦を用いたり、蕎麦を題材とした俳句を詠んだりと、蕎麦の地位を向上させた人物です。
・茶をのみて 道具求めて 蕎麦を食ひ 庭をつくりて 月花を見ん その他望なし 大笑々々
お茶と蕎麦を愛する心を詠った不昧公自作の句
・新蕎麦や 待てば久しき 花の里
出雲蕎麦を代表する蕎麦
割子蕎麦
割子という丸い器に盛った蕎麦に、つゆをかけて、食べます。通常割子蕎麦は三段で一人前で、一段目の蕎麦を食べた後、余ったダシを二段目の割子に移し、また三段目へと移しながら食べます。蕎麦湯は、そのまま飲んでもよし、またわりごに残った薬味とダシを入れて飲んでも美味しいです。
わりご蕎麦は、蕎麦を盛る容器から出た名称です。
割子は江戸時代に、連(身分を越えた人達の集まり)と呼ばれるひとびとが、野外に蕎麦を持っていく弁当箱として考えたのが始まりで、その頃の形は角型でしたが、明治は長方形、明治から大正にかけては小判型、その後、昭和十二年より現在の丸型に変わったと言われています。
釜揚げ蕎麦
茹でた蕎麦をそのままどんぶりに移し、蕎麦湯を注ぎ込み、ダシと薬味を乗せたもので、ビタミン、ミネラルなどが、蕎麦湯に溶け出しているので栄養価も抜群です。